2009年07月13日

図/地のゆらぎ。

IMAさんの学校標語めぐり
kikuchさんのPのデザイン、と続いて、
つくづく、見ているようで見ていないものの多さを実感。

気になりだすと、これが目に入る、目に入る。
よもや今日になって突如として増殖しだしたのでは?と思われるくらいに。

で、思い出したのは、
生物学者ユクスキュルが用いた有名な絵。
(日高敏隆『動物と人間の世界認識』ちくま学芸文庫、44-5頁より)

三つの?部屋.jpg

同じ一つの空間にいても、
ヒト、イヌ、ハエと、種が異なれば、
関心をもつ対象もまた異なる。

関心のあるもの、つまり自分にとって有意味なものは、
いわばスポットライトが当たったように冴え冴えとした輪郭を持つけれど、
その他は後景に退き、個別の対象としては見えない(極端に言えば「ない」)に等しい。

たとえば同じ一つの部屋でも、見え方はこんなに違うんですよ、
ということを、この絵は示している。

図と地のゆらぎ。

ある日、突然、
学校標語のひらがなことばや駐車場の「P」が、
後景から前景へとせり出し、存在を主張し始める。

関心は存在の母なのだ。 いま思いついたけど。

日常のありふれた世界が、ちょっとだけ、しかも二度と取り返しのつかない仕方で(・・・そうか?)、変貌を遂げる。

こうしてコトバはたえず、世界を裁ちなおす。

それが実感されるときの、この軽い眩暈のような感覚が、
好きなんだな。


     by 堀マサヒコ
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2009年07月06日

Pのデザイン

「日本で一番看板に使われているアルファベットは“P”である」

………………嘘です。僕の勝手な見解です。

でもそんな風に思わざるをえないほど“P”は実際多い。

あ、もちろんコレは駐車場の“P”ですね。
とにかくいたるところに“P”は存在している。
一般的に中心部といわれている町は“P”に始まり“P”で終わると書いても過言ではない。

あまりにピーピー視界に入ってくるので、“P”の写メコレクションをしてしまう僕(あ、先日35歳になりましたが何か?)……まぁそんなんで街を徘徊していると、ああ、ありました、お気に入りの“P”。

写メのものがそうなんですが、なんとパズル(!!)がモチーフの“P”を発見。

24hcp.jpg

“P”だからPUZZLEという、その脈絡のゼロさ加減と「もしかしてピースにもかかってるのか、おい!」と突っ込まずにおられない、まさにこの看板自体がこちらの脳をパズル化させる佇まいを持ってしまっている珍品ではないか。

うーん、たかが“P”、されど“P”。

にしてもだ。

たった一文字でコミュニケーションを成立させているアルファベット“P”の存在感はやはり凄い。
簡潔に万人に伝えるという事がデザインの基礎と位置づけるなら、ギュッとその定義をコンパクトに凝縮しきった“P”にはデザインの原点が見え隠れしている気もしないでもない。

そして今日もそんな“P”から放たれる“P”OWERにとっても嬉ピ〜くなるのだ。
って結局これが言いたかったんかいっ。

by kikuch

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2009年06月29日

学校標語めぐり。

「学校標語」めぐりの小旅行に出る。

数日ぶりの晴天である。水筒と弁当を用意し、腕まくりをして、車に乗り込む。

最初にあらわれたのは、

 「家のかど 子供の飛び出し 注意して」(小学校4年生)。

歩道橋の下に、ひっそりと、ある。シンプルな言葉選びにまずは驚く。「注意して」という言い回しが、命じるのでもなく、懇願するのでもなく、実に自然な標語風で、よい。「かど」だけが平仮名なのも、またよし。

交通安全関係の標語が、やはり、圧倒的多数を占める。

 「ゆだんする 軽い気持ちが 事故のもと」(小学校6年生)。

ドライバーと歩行者、双方に、等しく注意を呼びかける。のみならず、応用範囲の広い標語でもある。身につまされます。

 「ちいさな手 みえたらとまる いいこころ」(小学校6年生)

小学校6年生である。「小さな」「見えたら」「心」などの漢字は当然習得済みであろう。けれどもそれを、あえて、平仮名で処理してみせる。きっと、「ちいさな手」というのは、自分よりも年少の者の、そうした漢字をまだ習っていない者の手だろう。自分より幼い者と、自分より年長であるはずの運転者との間ののぞましい信頼関係を、幼さを仮構しながらうたいあげている。
ちなみに、この学校のすぐ近隣には、幼稚園があった。

自分の身を自分で守ろうという主張も、近頃の学校標語界では、多いのだろうか。

 「手をあげて 事故を防ぐのは 自分自身」(学年記載なし)。
 「一つだけ 自分の命 自分で守ろう 大切に」(小学校4年生)。
 「信号をあてにせず自分の目で確かめよう」(小学校5年生)。

そういえば、「校区内立ち入り禁止」「関係者以外駐車禁止」といった看板は必ずどこの学校にもあった。

もちろん、標語の内容は交通安全に限ったものではない。
たとえば、

 「がっこうは ゆめがいっぱい たからばこ」(小学校3年生)

と学校生活全般を称揚してみせる。あるい逆に、学校の外に潜む危険に注意を促し、

 「気をつけて 一人になるのを 待ってるよ」(小学校1年生)

と警告を発する。

標語は道徳の領域にも入り込む。

 「悪口は 人を傷つける 凶器だよ」(中学校1年生)。
 「おもいやり それはあなたの 宝物」(中学校1年生)。

当然、道徳は、親にも向けられるだろう。

 「やめなさい 親が言わずに 誰が言う」(PTA)。

これらの例では、七五調に乗せることで、特定の個人がつくり出した標語が、道徳律としての力づよさを帯びているようだ。リズムとして反復され、身体に沁み込んでいくことが、正しい道徳の、正しい道徳たるゆえんなのかもしれない。

★★★

普段、文字情報が多い街に暮している私たちは、学校標語にあまり目をとめない。街にあふれる文字情報の多くは、営利を目的とするものであれ、何かしらの主義主張を訴えるものであれ、自分の方を見るようにと、絶えず要求してくる。ある文字はデザインで訴え、ある文字は大きさで訴える。光ったり、点滅したり、回転したりもする。

そうした中にあって学校標語は、実に、つつましい。白い鉄板やベニヤ板に、多くの場合黒一色で、ごくありきたりのフォントで書かれている。設置するということ自体が第一の目的なんです、見られても見られなくても、どちらでもよいのですという、上品さがある。清楚である。いさぎがよい。

★★★

最後に母校にも行ってみた。

 「止まる見る 待つ習慣が 身を守る」

とある。子供ながら、なかなかよい標語である。
と思ったが、よく見ると実際には、PTAが制作したものなのであった。

by IMA

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2009年06月25日

古畑亜紀さん、コンサート情報

7月1日(水)、札幌市時計台ホールにて、
トランペット奏者の古畑亜紀さんのソロコンサートが行われます。

ぴかぴか(新しい)古畑亜紀 トランペットの夕べ

■出演  トランペット:古畑亜紀  ピアノ:前田朋子
■日時  2009年7月1日 19:00〜20:20
■場所  時計台ホール
      (札幌市中央区北1条西2丁目 札幌市時計台内)
■料金  1000円
■プログラムから
・ドニゼッティ 愛の妙薬より<人知れぬ涙>
・パーセル イントラーダとリゴードン
・マスカーニ カヴァレリアルスティカーナより <アヴェマリア>
・越谷達之助 歌曲集啄木によせて歌える より<初恋>
・007ジェームス・ボンドメドレー  他

下記のサイトにも、会場周辺のマップを付した情報が掲載されています。
http://www.sapporo-info.com/eventDetail.php?event_code=10561

*****

古畑さんはクラシックを主軸に幅広い演奏活動を展開し、
その高い音楽性ですでに、広く根強いファンを獲得しています。

その形状もきらびやかな音色も、まさに管楽器の「花形」であるトランペットですが、
クラシックの演奏家が奏でるその音色の優しさや深い色彩は、
意外に知られていないのではないでしょうか。
(と言っても、私自身、生で接した機会は少ないのですが…たらーっ(汗)管理人)

クラシック・ファン、および古畑さんファンの方々はもちろん、
トランペットと言えばサッチモやマイルスしか知らない、と言う方も、
この機会に、この楽器の持つもう一つの可能性の世界へと足を運ばれてはいかがでしょうか。

■■↓ 当サイト内、古畑さんによるエッセイ。
  @http://omotenoblog.seesaa.net/article/109310965.html
  Ahttp://omotenoblog.seesaa.net/article/115350673.html

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2009年06月22日

「Spinoza」ライブ情報。 

面のメンバーでもあるK,Nさんのプロジェクト「Spinoza」が、
今週の金曜日、旭川にてライブを行います。

そこで先日、K,Nさんご本人から今回のライブについてコメントをいただきました。

*****

こんにちは、SpinozaのK,Nです。

来る6月26日、旭川にあるセレクトショップ Less (レス) さんプロデュースのイベント、
LIVE LIFE MUSICに出演します。

場所は、旭川にあるスペイン料理のお店、casa elnino (カサ • エルニーニョ)。

素敵なお店の雰囲気の中、美味しいスペイン料理と、
僕たちSpinozaのFiamenco & Jazz & Funk & Bossaな演奏を楽しんで頂けたら幸いです。
お時間の許す方は、是非お越し下さい。

詳細は→http://spinozamix.exblog.jp/11640373/にてご確認願います。

*****

K,Nさんは1979年生まれ。
かつてソロ・ユニット「NEWTON CIRCUS」として二枚のシングルを世に出し、
現在は札幌を拠点に、楽曲提供やライブ活動などを展開しています。

私、管理人Aこと堀は昨年、レコーディングに参加させていただいた縁でお知り合いになったのですが、
打ち込みを含むスタジオワークの緻密さと、
生のギター1本と歌声だけで聴衆を魅了するパフォーマーとしての力強さ(その根本にある、リズム感の鋭さ!)に、とても感銘を受けました。

下記のサイトにて、比較的最近の作品が聞けますので、
この機会に是非、その音と歌声に触れてみてください。
http://www.voiceblog.jp/spinoza/

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2009年06月18日

オギュスタン・ベルク『風土の日本』(ちくま学芸文庫、1992年)

オギュスタン・ベルクはその著書『風土の日本』の中で、
「日本の文明は、その居住域(エクメーネ)を可能なところまでは広げなかったように思われる」
と書いています。

そうして残された広大な「非居住域(エレーム)」を、
日本人は神々の住まう場所、また自然と再会する「遊び」(山遊び、野遊び)の空間として大切にしてきたのだ、というのがベルクの指摘です。

ここで、ベルクが海の「沖(おき)」と山の「奥(おく)」とが同じ語根に由来する、という点に注目しつつ、下図のような対称性を見出していることには、なるほど、教えられる面が多いと感じます(個人的には、宮崎駿の世界を想起)。

自然と文化の空間構成(ベルク).jpg

この他にも、興味深い論点を数多く含む刺激的な書物で、
狭義の日本人論というのではなく、
哲学はもちろん、美学や環境論など、広く多様な関心のもとに読まれるべき内容です。
和辻哲郎に代表されるこれまでの日本的「風土」論の問題点を的確に指摘している点でも、良書だと思います。

先日亡くなられた坂部恵氏が解説を書いているのは、
非常に「らしい」感じがします。

posted by 堀(宗教学) at 03:12| Comment(0) | お薦め | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月15日

三周目に突入!

管理人Aこと、ほりです。

リレー形式のこのブログ、
いちお今日から三周目に突入、という気もちなんですが、
今後は少し、ゆるやかなペースで色んな方の原稿をアップしていこうと思っております。

その代わり、と言ってはなんですが、
月曜以外の日にも、管理人AかBかCかが、思いついたときには何かを書き込むことにいたします。
「シナプス接続」的なコメントや、できれば対談的なものも盛り込んでいきたいなあ、と。

ともあれ、毎週どこかが少しは変わっている状態にはしたいと思いますので、
定期的にここを覗いてくださっている方(いらっしゃるようで:ありがとうございます!)は、
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

*****

ちなみに、管理人Bこと、こにりょさんの気になるコトバ、「猫種」ですが、
漢和辞典の「猫」の欄にある熟語、

「猫額」 (びょうがく。読んで字のごとく、猫の額のこと)

からすると、やっぱり「びょうしゅ」なんですかねぇ。
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2009年06月01日

いぬとねこ

犬の種類は犬種で「けんしゅ」と読む。だけど、猫ではなんて言うのだろうと思ったら、猫種らしい。でも、なんて読むのだろう。「ねこしゅ」でいいのだろうか。この前、犬種管理と遺伝病のTVドキュメンタリーをみていて、ふと疑問に思った。そのうち調べてみよう。


リレー形式で運営している本ブログ。
ただいま三周目に向けて、準備中です。

by 管理人Bこと、こにりょ
posted by こにりょ at 00:34| Comment(0) | intermezzo | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月25日

ほんとに恐いのは

新型インフルエンザの感染者を出した(という言い方も何だか変な感じだけれど)学校の校長が、謝罪。
そうしなければならない世の中の雰囲気に、ちょっとゾッとした。

今世紀、人類最大の敵となり続けるだろうと言われる、各種ウィルス。

今からそんな社会的圧力を生むような状況で、
この国は大丈夫だろうか。
なーんてね。いや、ほんと。

*****

リレー形式で運営している本ブログ。
ただいま三周目に向けて、準備中です。

     by 管理人Aこと、堀
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2009年05月18日

シナプス接続 その3

管理人の堀です。

リレー式で運営しているこのブログ。
まだお誘いできていないメンバーもいるのですが、
とりあえず二周目を終えました。

今回は、全体に言葉やコミュニケーションをテーマにしたエッセイが多かったように思います。

すべての記事をフォローすることはできませんが、
ここではそのようなテーマに沿って、少し考えたことを振り返ってみます。

*****

語ることは騙ること、とよく言われるとおり、
ある口ぶりで語ることは、その口ぶりが示すタイプの人間を演じること、その種の人になりきることに通じます。

こにりょさんの命名による「じいさんしゃべり」(3月2日)は、その典型でしょう。

もちろん、演じることは単に「だます」ことにあらず。

ちょうど先日、劇作家の平田オリザ氏と霊長類学の山極寿一氏がTVの対談で話されていたとおり、
演じるということ、ある役割を演じるということは、
社会的関係をきずく上でかなりベーシックな営みでしょう。

カメレオン人間、などという言葉もあるようですが、
そこまで適応主義的にならないにせよ、
様々な場面に応じてそれなりに柔軟に色んな役柄を演じ分けるなかで、
私たちの個性というか、「人柄」と呼ばれるものも次第に出来上がっていくのだと思います。
(→「性格」3月30日)

また、そのように演じ合うなかで、
私たちは互いの心の中に少しずつ自分の居場所を見つけていき、
他人でありながらもどこか他人ではない関係というものを作っていくのだとも思います。

夫婦も演じあうことで面白みが出てくる、とは
先述の対談での山極氏の名言ですが、
私は「オバちゃんコミュニケーション」(3月16日)もまた、
そのような文脈で受け取りました。

*****

そのように、コミュニケーションということを人とのかかわり全体として考えてみると、
言葉の果たす役割、とくに明確な「意味」の乗り物としての役割が占める場所は、ある程度差し引かれるべきかな、という気がしてきます。

たとえば初めて訪れた異国の地で、
言葉の意味ではない、何かが伝わることがある。
(→「外国にて」4月13日)

あるいは、正しい言葉遣いよりも、
その壊れように、一同の関心が向かってしまうことがある。
(→「オマエハ、ダレダ」5月4日)

さらに言えば、
狭い意味での言葉に限らず、ある種の「かたち」やデザイン、
しかも、誰が何の目的でつくったのかもわからないものにすら、
私たちは心をくすぐられたり、なごまされることがあるわけで。
(→「すずらんのデザイン」3月23日)

それらもすべてひっくるめて、コミュニケーションの多様な形態ということを考えるなら、
それはきっと、「人間」(人の間)というワクすら越えて広がるものになってくるのだろうと思います。

   by 堀マサヒコ
posted by 面 at 02:01| Comment(0) | シナプス接続 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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