2009年09月28日

辻千絵 ピアノLIVE in T&F hanaagra vol5

今週水曜日の夜、辻千恵さんのピアノLIVEが行われます。
このステージに、
@ 本サイトにも登場してくださっているトランペット奏者の古畑亜紀さんがゲスト出演されます。
A 会場に、同じく本サイトでもお馴染みのグラフィックデザイナー、菊池和広さんの作品が展示されます。

     ★★★

辻千絵 ピアノLIVE in T&F hanaagra vol5

日時: 9月30日(水) 1830開場 1900開演
場所: 札幌市中央区南一条西4丁目フリーデン1.4ビル3階hanaagra

「ClassicからWorld,Healing,Jazzテイストなものまで選りすぐりの名曲で楽しむArt Space Concert シリーズ」ということで、
古畑さんは第二部、トランペットとピアノデュオのステージにゲスト出演され、
上記のとおり会場には菊地さんの作品が展示されるそうです。

第二部の曲目は、以下のようにバラエティあふれる内容。

・武満徹/ヘニングブライエル編曲 「翼」
・同上 「ワルツ」
・マシューウィッツ、シャーウィン 「バークレースクエアのナイチンゲール(ver.マンハッタントランスファー)」
・EGO-WRAPPIN' 「色彩のブルース」
・ショパン 「ノクターン(ver.平原綾香)」
 ほかアイリメンバークリフォード(ver.辻さん)など。

武満徹とエゴラッピンの曲を同じステージで聞けるというのがすごいですね〜 (でも、どこか通じる感じも)

また、「第一部は、クラシックを中心としたタイトル「ノクターン」ピアノ作品特集です。藤女子大講師をおつとめでラジオパーソナリティーもされている辻さんの独奏おたのしみください。ショパン、モリコーネ、シークレットガーデンなどノクターンばかりを集めて練り上がった選曲です」(古畑さん)、
とのことです。
(→辻さんのHP

前売りは1800円(ミュージックチャージのみ)。
お電話で詳細お問い合わせされたい場合は
011-251-9530〈主催ギャラリー&カフェhanaagra〉へどうぞ。

     ★★★

先週の土曜日は、やはり「面」を応援してくださっているミュージシャンの長沢公平さんのソロプロジェクト、Spinoza のライブが行われ、
わたくし、管理人Aこと堀もバンドの一員として、心地良いグルーブのなかに身を置かせていただきました。
(→長沢さんがラジオ出演されたときの情報

「面」つながりの面々が色んな形で活動をともにする機会が、これからも増えてくれば良いなあ、と思っています。

このサイトも、もすこしコラボをうまく進めていかねば。。。

posted by 面 at 00:39| Comment(0) | イベント情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月21日

覚醒体験としての夢 ――西郷信綱『古代人と夢』

管理人Aです。

京都での学会は、新たな出会いと発見に満ちた、とても刺激的な三日間でした。
やはり人と話すことは大事だな、と思った次第。

京都という場所柄のせいもあって「和」の方へ意識が傾いたのか、
あるいは、
滞在中、夜はほとんど眠れず、色んな人と夢の中で話したような感覚を味わったせいか、
このところ、学部時代に読んだ西郷信綱『古代人と夢』を改めて読み返しています。

本書によれば、夢はもともと「イメ」(寐目)、つまり 睡眠中の目 を意味するとか。

深い眠りの中でこそ覚醒する何か――「古代人」が様々な祭式や神話を通して大切にしてきたその何かを、著者は 〈他者〉としての魂 と捉えています。

そのような魂の見る夢を、かつて人々は神来のもの、つまりある種の啓示(「他界からの信号」)と受け取り、そこに日常とは別種の「うつつ」としてのリアリティを認めていた、と著者は言います。

この話は、それこそ夢見がちな青年期の私にたいへん魅力的に響いたわけですが、
その時にはあまり気がつかなかったのは、
「夢は大地に属するものである」、 という著者の論点の重要性です。

著者は、「古代人」が夢を介して交流していたのは、
山の神や水の神といった古い大地の神々だと述べています。

そのような神々への信仰が、
天照大神を中心とする「高天の原のパンテオン」の成立とともに相対的には劣位へと追いやられていくとともに、
夢の神性はリアリティを失っていった、というのが、
著者の主要な論点の一つであるようです。

日本人の宗教、というものを考えるとき、
「神道」や「仏教」、あるいは「アニミズム」といった一般概念には回収し尽くせないような、
あの山、この川という地域的な自然環境と一体化したローカルな信仰にこそ目を向けることが大切じゃなかろうか、
と私は思っているのですが、そのような観点からも、
これは面白い議論だと思います。


     by 管理人Aこと、堀

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2009年09月07日

準備中。

管理人Aです。目下、今週末に京都で行われる学会の準備に没頭(?)しております。

「日本宗教学会学術大会第68回学術大会」(9月11〜13日@京都大学)というものですが、
いったい宗教学会って何をやるの?
という関心を持たれる、極めて少数派の方は、
こちら、学会HPをどうぞ。

ちなみに私は大会二日目、9月12日(土)の14:00から行われる次のパネルで発表いたします。 

     * * *

宗教哲学の現在を問う―反本質論の波を受けて

@「宗教哲学は本質論を離れうるか―多元主義の観点から」堀雅彦(代表者) 
A「「宗教の本質」と歴史性―トレルチによるオットー批判より」小柳敦史 
B「神経科学の冒険―思考実験と宗教哲学の可能性」松野智章 
C「他性と多性―他者の哲学/哲学の他者としての宗教哲学」佐藤啓介 
コメンテータ: 深澤英隆
司会: 佐藤啓介

いちお書類上は代表者ですが、要するに言い出しっぺで、
参加者間の調整、連絡係のようなもの。
事務的なことから学術的なことまで、他の方々にフォローされまくりで、
実力不足を痛感しています。
が、そういうイタイ経験がなければ、
私のような怠け者は前に進めないとも思います。

     * * *

と、いうことでして、
来週月曜はまだ京都にいることもあり、
次週のシナプスはお休みさせていただくことになると思います。

     by 管理人Aこと、堀

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2009年08月31日

「孤立」をうながす、広大な問い。

東京の国立近代美術館で開催中のゴーギャン展。

日本初公開の大作、
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
も来ている、そうで。 (下記URL参照)
http://www.gauguin2009.jp/

そんなタイトルをつけるなんて、
ちょっと野暮じゃない?
てなことを、若いときには思ってたんですが。

芸術も哲学も宗教も科学も、
すべてはこの問いにたどりつく、という気が、今はしています。

答えを知りたい、ような、
絶対に知りたくない、ような。

ともあれ、この絵の前に、一度は立ってみたいものです。

できればたった一人で、
と思うのは、

やっぱりこのタイトルのせいでしょうか。

   written by 堀マサヒコ
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2009年08月24日

『古代地中海を巡るゲオグラフィア』

翻訳業をやっております、こにりょ、です。

今回は、ステファノ・マニャーニ著『古代地中海を巡るゲオグラフィア』(シーライト・パブリッシング刊)という書物のご紹介。何を隠そう、ぼくが2年ほど前に訳した本です。

img_geo.jpg

原題は「古代世界の歴史地理学」と言いまして、古代地中海地域の歴史と地理が絡み合う様を細かく描いている、なかなか面白い本です。

歴史というのは人の営みなわけですが、人の営みはいつも場所と関わっています。ぼくらもやっぱり、どこに住むかというのは人生の一大事なわけですから、それが世界の歴史ともなれば当然重要な要素になってくるでしょう。

古代地中海の歴史にしても、地中海があったからこそ、今ぼくらが知っている歴史が生まれたといってもいい。海、陸地、風、波、気候、資源、動植物、風景……、そのような要素が複雑に絡み合って、地中海の歴史は形成されていったのです。

本ブログでも前に、〈地‐図〉の話が出ましたが、陸地の認識と、そのモデル化としての地図の話題が、この本の中にも出てきます。地図を見れば、その時代の人たちがどんな世界認識を持っていたのかが分かるというわけです。どこが人の住む世界で、どこが人外魔境なのか、地図は教えてくれます。それは現在の地図だって同じこと。地図に載っていない場所は、人が行くことができない(とされている)場所なのです。

さまざまな資料を使いながら、いままで気づかなかったような視点で、地中海の歴史を語ってくれる、とても分かりやすい本です。もし読みにくいのであれば、だぶんそれはぼくの責任です。原書はとても理路整然としていましたから。

興味が沸いてきた方は、ぜひ手にとってみてください。
出版社のサイトはこちら。http://www.c-light.co.jp/

なお、ぼくの音楽コラムもそのサイトで連載してますので、よければご覧くださいませ。
posted by こにりょ at 01:00| Comment(1) | お薦め | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月17日

鍼灸師さんの独り言。

鍼灸師の福田さんがHP上で連載しているエッセイ、「院長の独り言」

「山椒は小粒でもぴりりと辛いというような、ちょっとためになるトピックを」、というコンセプトのとおりの内容で、
毎月、楽しみにしています。

そこで推薦されていた尹雄大氏の『FLOW/韓氏意拳の哲学』という本に出会えたのも私にとっては一つの収穫でしたし(2009年6月)、
中国語の「カンフー(功夫)」という言葉を糸口にして、

 「中国人・東洋人の時間の積み重ね・歴史の積み重ねに対する絶対的な信頼」

に思いを馳せるあたりにも、ハッとさせられました(同7月)。

福田さんとは実はむかし、同じ会社に勤めていたのですが、
それぞれの理由でそこを離れてから、はや十数年。

別々の道を歩み、その間、決してマメに連絡を取っていたわけでもないのですが、
いま考えていることが意外なほど響きあうのは、実に面白いことです。

それぞれがウサギと亀の決して前者ではない生き方をしてきて、
「遅さの哲学」みたいなものを共有しているせいかもしれません。
おとぎ話の亀のように「勝てる」思想なのかどうかは、わかりませんが。

と、個人的な感慨はさておき。

本サイトとあわせて上記「院長の独り言」もぜひ、
覗いてみてください。
(それより鍼灸院の宣伝をしてよ、という声も聞こえてきそうですが。。)

posted by 面 at 01:03| Comment(1) | 仕事場のパンセ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月10日

graphic = カオスから立ち上がるカタチ

先週に引き続き、原研哉氏の『デザインのデザイン』から。

原氏は自分の仕事、「グラフィックデザイン」とは何かを改めて問うて、
こう書いています。

     ★★★

―― 「graphic とは、直訳すると「絵のような」という意味であるが「絵」という概念を今日的に捉え直すとするならばそれは「図」と呼んだ方が的確かもしれない。 「図」とは「地」に対する概念。 すなわち無意味なカオスとしての背景から立ち上がる「意味のある形質」のことである」。(219頁)

     ★★★

原氏はさらに、このような意味での「図」は「情報」という概念に置き換えることもできる、と述べ、「ノイズの海」から立ち上がる「図」=「情報」の美こそは、グラフィックデザイナーにとって「究極のテーマ」だとしています。

駐車場の「P」のカタチに目を凝らす kikuch さんのエッセイから、
私が「図と地のゆらぎ」について考えされられたのは、
なるほど、自然なことであったのだな、と思いました。

posted by 堀(宗教学) at 00:35| Comment(2) | シナプス接続 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月03日

原研哉『デザインのデザイン』

ここ数年、改めて、デザイナーの発想、というかデザインという考え方から学ぶべきものの多さを実感しています。

それは、このサイトでもおつきあいのあるkikuchさんの影響もあるのですが、
デザインという仕事に関わっている人の発想が、どうしてこんなに面白いのか、その理由がうまく捉えられずにいました。

そんな中。

原研哉氏の『デザインのデザイン』(岩波書店、2003年)を読んで、
なるほど、そういうことだったのか、と思うところがたくさんありました。

そのたくさんをすべて書くと長くなりますので、
ここでは前書きから二箇所、いきなりずどーんと来たフレーズを引用させてもらいます。

     ★★★

―― 「何かをわかるということは、何かについて定義できたり記述できたりすることではない。
むしろ知っていたはずのものを未知のものとして、そのリアリティにおののいてみることが、
何かをもう少し深く認識することに繋がる」。

―― 「机の上で軽くほおずえをつくだけで世界は違って見える。
ものの見方や感じ方は無数にあるのだ。
その無数の見方や感じ方を日常のものやコミュニケーションに振り向けていくことがデザインである」。

     ★★★

デザインという仕事、またデザインという考え方をこのように捉えることができるのだとすれば、
それは日々、私が学んでいる宗教学や哲学という学問、
あるいは仕事として行っている大学での「授業」という行為そのものと、
関わらないはずはありません。

この本の面白さは、そうした思想としてのデザインを、
原氏のこれまでの具体的な仕事のありようを通して非常にわかりやすく説いている点です。

その筋の(?)方々にとってはあまりに有名な方の著作ですが、
私がそうであったように、
別にその種の仕事についているわけではないんだけど、
デザインってそもそも何だろう、と気になっている人、
あるいは、これまでデザインにこれと言った興味をもたなかった人にも、
お勧めできる内容です。

装丁や論述形式が、なんか岩波っぽくないところも良いです。

posted by 堀(宗教学) at 13:00| Comment(0) | お薦め | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月27日

聖地チベット展・2

翻訳業をやっております、こにりょ、です。私も「聖地チベット展」に行ってまいりましたので、感想を少し。

日本のともインドのとも違う神像や仏像が並んでいて、なんとも壮観です。頭がたくさん、手がたくさんの観音さまも迫力ありましたが、特に頭が動物の像はとても好きなのでいろいろなものをじっくりと堪能してきました。

昔の人はこういう異形の神々の姿をどのように想像して、どのように細部を定めていったのか、出来上がったものにどういう思いを抱いていたのか、そういうことを考えるだけで、歴史の重みと人の精神活動の奥深さに、頭がクラクラしてきます。

そういえばお台場に等身大ガンダム像が作られたそうですが、そういうのを見て圧倒されるのとつながるのかもしれない、とふと思ったりもします。あのあれが、二次元にしかなかった、観念の中にしかなかった、あれが、今、現実に目の前に、物質として、しかも、こんなにリアルに! という気持ちはよく分かる。神話に出てきた神様が、実際に目の前に現われれば、おお! と感動してしまう。アニメやゲームのキャラクター・フィギュアを愛でるのとも、おそらくつながりがあるのだと思います。

つかみどころのないもの、想像の中にしかないものを、形ある具象物にして、それを〈愛でる〉〈敬う〉〈崇拝する〉、そんな気持ち。そういうものが感じ取れた展覧会でした。具象物として、今ここにあるもの、は、やはり理念や思想とはかなり異質な、独特の迫力がありました。回せば経文を唱えたのと同じ功徳があるという聖具〈マニ車〉も、お試し用のものがあったので、思い切りぐるぐるぐるぐる回してきましたが、そうやって具体的なものに触れるというのは楽しいですね。

たぶん、これも楽して功徳を得る道具とかいうものじゃなくて、手を動かして、ある動きを作って、同じ功徳へと到る別の道なのだな、という気がしてきました。結構ずっしり重さを感じるマニ車を、あるパターンで動かす(くるくる回す)というのは、何かしら心の高ぶりを覚えます。心の変容とでもいうような……。ふと思えば、仮面ライダーが変身の際にある決まったポーズをとるのも、アニメの魔法少女が何かの道具を一定のパターンで動かして変身するのも、同じような意味を備えたプロセスなんじゃないだろうか、心が変容するのと同時に体も変容するかもしれない、そもそもそれらは密教の印につながるのではないか、などと、いつもの空想癖に浸ってしまいました。

展覧会はまだまだやっておりますので(〜8月23日)、ぜひどうぞ!
posted by こにりょ at 00:40| Comment(1) | シナプス接続 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月20日

聖地チベット展。

鍼灸師で、東洋医学全般にも詳しい福田さん()を誘い、
道立近代美術館にて開催中の「聖地チベット」展へ。

先に入場していた管理人Bこと、こにりょさんと合流するも、
こにりょさんはその後の予定が押していたため、先に退出。

展示の内容は、かなり充実したもので、
福田さんとあれこれ感想や疑問を差し向けあいながら一回りするのに、
二時間以上かかりました。

福田さんからは、
チベットの医学や身体イメージ(それは歴史表象や宇宙観にも関わっています)について、
インドや中国との比較の観点から、色々と教えてもらいました。

私の方は、仏画や舞踊の仮面に散見されるドクロや、
ぐわっと目を見開き舌をべろりと垂らした仏神の表情に、
思わず「なんか、ヘビメタに通じるものを感じるなあ」と一言。
(より広く、ハードロックとくくっておくべきかもしれませんが)

考えてみれば、チベット密教も、「セックス&バイオレンス」ってとこあるもんなあ、と、
何だか妙に納得してしまいました。(※)

・・・俗っぽい感想で、すんません。

※ これはまあ、少なくともまったくの的外れではなかろう、
  ということで、関連書物を紹介。
  
  → 正木晃『性と呪殺の密教:怪僧ドルジェタクの闇と光』
     (講談社選書メチエ、2002年)

  ドクロ好きといえば、この人(↓)も。

posted by 堀(宗教学) at 23:53| Comment(2) | シナプス接続 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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