2009年04月13日

外国にて

先月、ウィーンとミュンヘンを訪れる機会がありました。

いくつかの美術館をたずね、これまで美術書でしか見たことのなかった作品を見ることができたのは、心踊る経験でした。
中世の宗教画のぎこちない表現に、
かえって誠実な信仰心が感じられて感動したり、
ルーベンスなどバロック絵画のあまりの大きさ、
ドラマティックさに気圧されたり。

また、街並みを歩くのも楽しいことでした。
古い建造物が歴史的遺物として突出しているのではなく、
街景をつくる要素として馴染んでいるのが印象的でした。
シュテファン大聖堂は、13世紀の昔からウィーンのシンボルとして
街の中心にそびえています。
ゴシック様式の重厚な姿は、もう「建っている」というよりも
そこに「生えている」といった印象で、
その圧倒的な存在感は、思わず口が開いてしまうほど。
自分の文化とは異質な世界のなかに身を浸し、
刺激的だったり、居心地が悪かったり、楽しかったりの1週間ちょっとでした。

やはりドイツ語圏に行くからにはドイツ語を多少は覚えよう、
と出発前に教本を買ってはみたものの、
あえなく挫折、3つくらいの挨拶を覚えただけで、
あとは怪しい英語で通しました。
それで、伝えたいことをうまく伝えられないもどかしさに、
やはり言葉は大事だな、と痛感する一方で、
言葉が通じなくても伝わることもあるな、
ということを感じもしました。

何人かの印象的な人たちの顔や佇まいを思い出します。

いつも必ず明るい声で挨拶をしてくれた、
ウィーンのホテルのフロントの、大きな強い目の女の子。
入っていくと人懐っこそうに微笑んでくれた、
分離派会館の係員の黒髪ショートカットの女の子。
ミュンヘンのノイエ・ピナコテークで
「音声ガイドは無料なんだからぜひ借りてきた方がいいよ」
と私をつかまえた監視員のおじさん。
鈴のような声で、「いつかまた来てね」と言ってくれた、
ミュンヘンのホテルの女の子。
ドイツビールの美味しさに、「ビール、今度は大きいサイズで」と言ったら、にやりと笑ったレストランのウェイターのおじさん。
ミュンヘンの駅で、空港までの切符の買い方を一生懸命教えてくれた
初老の知的な男性。
(彼でも「Oh,god!」とつぶやくくらい、わかりにくかった)。

それぞれ、多くの言葉を交わしたわけでもないのに、
あまりに記憶は鮮やかです。

何も別に外国じゃなくたって、日々の暮らしのなかでこの人いいな、
と思うことはあるわけですが、
言葉から得られる情報の少ない分だけ、
細部が捨象されたその人の人間性の根っこみたいなものが、
なおさらダイレクトに伝わってきたんじゃないかと、
そう思ったのでした。
「人柄がにじみ出る」という表現をすることがあるけど、
ほんとにそういうものなんだなーとあらためて感心したというか。

もちろん、長くつきあわなければわからないこともたくさんあるけれど、
案外、会った瞬間に感じることが、
その人のいちばん本質的な部分なのかもしれないです。

もうおそらく会うこともない魅力的な人たちが、
今回訪れた街の印象となって、強く心に残っています。

by H(美術館学芸員)
posted by 面 at 13:18| Comment(0) | 人のあいだに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月16日

オバちゃんコミュニケーション

とてもキレイで、お洒落な友人との付き合いも、15年を超えました。
自由奔放で、たまに無茶苦茶で、いいこともわるいことも知ってる彼女は美人の域を越えて美しい。

同世代の女性たちと、私たちが一緒に食事をしても、 ガッカリすることもしばしば。
帰り道二人で、

 「なんであーゆー風な話し方になるんだろう?
  体力落ちたの、シミシワが出来てきたとか何とか、
  あそこまで盛り上がると老化現象すら自慢しあってるような気がするね。
  早く年を取りたいわけ? 付いていけない」

28歳が若いのか、オバサンに片足つっ込んだ微妙な位置にあるのか、気にしだすことはなんだか情けない気がする。
実は周囲の“ものさし”によって、決められていくことが多いと、気づき始めてる今日この頃。
オバサン、オジサン、オバアサン、オジイサン。
それぞれ自分らしく生きるとは、ただの虚しい標語の旗となって、
毎日の頭上になびいているだけなのかもしれない。
そんな友人が先日電話で「健康の話になると、久美子も私もオバサン口調になっててウケる」
バツが悪そうに話したのです。

以前、彼女が体調を大きく崩したことがありました。
お医者じゃない私は具体的に何もしてやることが出来ないですが、心配は多いにしてやれるぞと、毎日毎日時間問わず電話とメールをしました。
回数を重ねるごとにそのオバサン度は増し…。


 病は気から。治ったら少々値が張るもの食べに行こ。バチ当たらないべさ。 
 なーんも、すっだらこと。病人が気にすることじゃないんだわ。黙って今日は寝てれ。
 不安があるなら先生に遠慮なく聞かねば。
 病院代と交通費以上に元とってやらねばもったいないっしょや。


・・・とまぁ、このような具合になるのです。
過剰な方言丸出しの、北海道の田舎ババです。
で、仕事や男の話になると、途端に自然と口調が変わる。
いわゆる「年頃の女性」に戻るのでしょうね。


何でだろう、と考えると、それは「私のおかあさんの話し方」でした。
知らず知らずのうちに、肝っ玉母さんになったつもりで接していたのかもしれません。
声だけで、背中を叩いたりさすったりするにはどうしたらいいのか。
それは偉大なるオバちゃんパワーだったのです。
なんでかな。オバちゃんは明るいからかな。


オバちゃんは、すごいです。毎日を地で生きている感じがして、図々しいけど、頼もしい。
自分も彼女もオバちゃんになり、何だかんだで食えないクソババになっていくのです。
女で居続けることも、オバちゃんになっていくことも
子どものようなみずみずしい感性も、冷静でスマートな大人であることも
私の頭で考え、話を語っていけば、結果はそうそう悪くないかもと、
めぐりめぐってこのような結論に落ち着きます。


元気のないときや、不安でたまらないとき。
嬉しいときの声はグラデーションのように変化を見せます。
力強い応援のときだけは
だみ声のオバちゃんになってもいいんじゃないかな、なんて思ったりしています。

          佐藤久美子(画家)
posted by 面 at 06:00| Comment(2) | 人のあいだに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月16日

理想

はじめまして。徳田新之丞といいます。
ウソですけど。

今日は、いま僕をいちばんやさしい
気持ちにしてくれる女性について書きます。
いつも笑顔で、料理が上手で働き者の、
とてもかわいらしい女性です。
けれど彼女の心にいるのは、どうやら僕ではないらしい。

僕の祖父が逝ったとき、
彼女は告別式で一度だけ涙を見せました。
けれど、その後皆で食事をしたときには
「じいちゃんならいい男だったけど、
子供も孫も、誰も似なかったもんね」と笑っていた。
そのとき僕は、彼女の前でだけは
いつも笑っていようと心に決めました。

最近よく口にする、彼女の口癖があります。
「じいちゃんもあの世に行ってしまったし、早く行きたいけど、
このまま病院にいたら百まで生かされるわ」
そう言いながら彼女は、補助器具を使って毎日歩いている。
先生に怒られるから、と大げさに嘆いて見せながら。


来月、僕のいとこが結婚します。
それからもうすこしたてば、
彼女にとって初めてのひ孫が生まれる。

けど、僕だってお嫁さんや子供の顔を見せたい。
じいちゃんに見せられなかった分、
ばあちゃんにだけは絶対に見てほしいから、
もうちょっとだけ我慢しててよ。

あと、できたらまたばあちゃんの「いずし」が食べたいな。


          written by 徳田新之丞
posted by 面 at 00:00| Comment(0) | 人のあいだに | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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