2010年02月01日

信じてないからこそ。

「来世でな!」

と手を振り、去りゆく男(千原ジュニア)。

ずいぶん前に見たドラマのラストシーンですが、
なんだか妙に、心に残っています。

     ★★★

「深く潜れ ― 八犬伝2001」。
検索してみたら、NHKのサイトが残っていました。
http://www.nhk.or.jp/drama/archives/dd/index.html

前世を知るための無人島ツアーという、
なんとも怪しげな旅に集まってしまった人々の物語。
そうだったけか。 細部は忘れてしまったけれど、
確かになかなか面白いドラマでした。

数年前のNHK朝ドラ「芋たこなんきん」でも、
主人公(藤山直美)が死んでしまった亭主(國村隼)の写真に向かい、
「来世でも私を見つけてね」と呼びかけるシーンがありました。

が、こちらは原作の田辺聖子が江原ファンなのを知っていたので、
正直、すっごく白けてしまった。
藤山直美も國村隼も大好きなのに。

     ★★★

来世で、という言葉が心に響くのは、
反面、来世なんか無いだろうなあ、と思っているからこそじゃないかと。

もう二度と会えないという思いがズキズキと胸に迫っているからこそ、
来世で会おうよ、と笑って別れることにも一定の重みがあるわけで。

芸能人カップルが「パワースポット」セドナへの旅に出かけ、
歌舞伎役者が意中のひとに「来世も再来世も一緒に」と甘い言葉(?)をささやく、
あちこちスピリチュアルな今日この頃。

来世があるらしいよ、てな話がアタリマエになってしまったら、
これまで人類が色んな形で来世やあの世を語ってきたことの意味が、
すっかり消えてしまうような気がして。

あまのじゃくですかね。

     by 堀マサヒコ

posted by 面 at 01:43| Comment(2) | 問いの小窓 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
信仰の問題にかぎらず、

また会おう という言葉が
逆説的な響きをもつときって、
たしかにありますよね。

きっと来ないだろう「また」を語ることで
この出会いの終わりが際立つ。

というんでしょうか。

意味合いは場面によっていろいろ変わりそうですが。
なんか考えさせられました。
Posted by pockley at 2010年02月12日 01:36
<Pockleyさん

一期一会だからこそ、って言うんですかね。
「またね」の根っこは、たぶん「会えてよかったよ」ってことなのかな、と思うんです。

来世も含めて、
「再会」の可能性をまるっきり否定してるわけじゃないんですけどね。

コメントありがとございました〜

Posted by 堀 at 2010年02月15日 00:57
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