2010年02月15日

太陽を凝視した男。

こにりょさんの太陽について、からシナプス接続。

まさに、「見てはいけない」太陽を、
過剰なまでの科学的探究心から肉眼で見つめてしまい、
失明しかけたという逸話を持つ人がいます。

その人の名は、グスタフ・フェヒナー(G.Fechner;1801-87)。


gustav-theodor-fechner.jpg


実験科学としての心理学の誕生に大きく貢献したドイツの学者の一人として、
心理学の教科書などでも紹介されています。

そうした文脈で必ず言及されるのは、
彼が自ら「精神物理学」と呼んだ方法論で、
これはつまり、
物理的刺激と、それに対する感覚の変化を調べることによって
心と身体の対応関係を数量的に確かめる、というものです。
(サトウタツヤ・高砂美樹『流れを読む心理学史』有斐閣、20〜24頁などを参照。これ、良書と思います)

太陽を凝視して、というエピソードは、
そうした方法論を確立するよりもかなり前のことですが、
それもまた、
光と残像の関係を確かめるための「実験」だったそうで、
後に発展する方法論の萌芽でもあったのでしょう。

     ★★★

私が好きで、長いこと読みつづけているアメリカの哲学者、
ウィリアム・ジェイムズの著作のいくつかに、
このフェヒナーに対する賛辞(しかも、かなり興奮を帯びた)が見られます。

ジェイムズが感激しているのは、
フェヒナーの実験家としての側面よりもむしろ、
彼の独特の宇宙観であるようです。

その特徴の一端は、
フェヒナーが心と相即するところの「身体」というものを、
極めて多様なものとして、また極めて広い範囲に見出そうとしている点に認められます。

たとえば、植物。
あるいは、地球そのもの。

これらにフェヒナーは、確かに「身体」を見ています。

そこに身体を認めるということは、
同時に、そこに精神的な営み(ジェイムズの言い方では「内的生活」)を認めるということでもあります。

ジェイムズが注目を促すところのフェヒナーの思想は、
日本に育った私には、
何となく「依り代」的な考え方とも部分的に重なるような気がして、
共感できる面があります。

しかも、そのような着想を、単なるフィーリングによってではなく、
一定のロジックを働かせながら紡ぎだしているところに、
興味をそそられます。

しかし、この面でのフェヒナーの著作は、
死後生を論じた小著を除いて、日本語訳がほとんどありません。

私はドイツ語が×××なので英訳に期待したのですが、
これもほんの一部の著作(というか、断片)にとどまっています。

しばらくは辞書と首っ引きの状態でも、
ドイツ語に噛り付くしかないようです。

     by 堀マサヒコ

posted by 面 at 05:52| Comment(0) | シナプス接続 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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