2009年08月31日

「孤立」をうながす、広大な問い。

東京の国立近代美術館で開催中のゴーギャン展。

日本初公開の大作、
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
も来ている、そうで。 (下記URL参照)
http://www.gauguin2009.jp/

そんなタイトルをつけるなんて、
ちょっと野暮じゃない?
てなことを、若いときには思ってたんですが。

芸術も哲学も宗教も科学も、
すべてはこの問いにたどりつく、という気が、今はしています。

答えを知りたい、ような、
絶対に知りたくない、ような。

ともあれ、この絵の前に、一度は立ってみたいものです。

できればたった一人で、
と思うのは、

やっぱりこのタイトルのせいでしょうか。

   written by 堀マサヒコ
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2009年08月24日

『古代地中海を巡るゲオグラフィア』

翻訳業をやっております、こにりょ、です。

今回は、ステファノ・マニャーニ著『古代地中海を巡るゲオグラフィア』(シーライト・パブリッシング刊)という書物のご紹介。何を隠そう、ぼくが2年ほど前に訳した本です。

img_geo.jpg

原題は「古代世界の歴史地理学」と言いまして、古代地中海地域の歴史と地理が絡み合う様を細かく描いている、なかなか面白い本です。

歴史というのは人の営みなわけですが、人の営みはいつも場所と関わっています。ぼくらもやっぱり、どこに住むかというのは人生の一大事なわけですから、それが世界の歴史ともなれば当然重要な要素になってくるでしょう。

古代地中海の歴史にしても、地中海があったからこそ、今ぼくらが知っている歴史が生まれたといってもいい。海、陸地、風、波、気候、資源、動植物、風景……、そのような要素が複雑に絡み合って、地中海の歴史は形成されていったのです。

本ブログでも前に、〈地‐図〉の話が出ましたが、陸地の認識と、そのモデル化としての地図の話題が、この本の中にも出てきます。地図を見れば、その時代の人たちがどんな世界認識を持っていたのかが分かるというわけです。どこが人の住む世界で、どこが人外魔境なのか、地図は教えてくれます。それは現在の地図だって同じこと。地図に載っていない場所は、人が行くことができない(とされている)場所なのです。

さまざまな資料を使いながら、いままで気づかなかったような視点で、地中海の歴史を語ってくれる、とても分かりやすい本です。もし読みにくいのであれば、だぶんそれはぼくの責任です。原書はとても理路整然としていましたから。

興味が沸いてきた方は、ぜひ手にとってみてください。
出版社のサイトはこちら。http://www.c-light.co.jp/

なお、ぼくの音楽コラムもそのサイトで連載してますので、よければご覧くださいませ。
posted by こにりょ at 01:00| Comment(1) | お薦め | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月17日

鍼灸師さんの独り言。

鍼灸師の福田さんがHP上で連載しているエッセイ、「院長の独り言」

「山椒は小粒でもぴりりと辛いというような、ちょっとためになるトピックを」、というコンセプトのとおりの内容で、
毎月、楽しみにしています。

そこで推薦されていた尹雄大氏の『FLOW/韓氏意拳の哲学』という本に出会えたのも私にとっては一つの収穫でしたし(2009年6月)、
中国語の「カンフー(功夫)」という言葉を糸口にして、

 「中国人・東洋人の時間の積み重ね・歴史の積み重ねに対する絶対的な信頼」

に思いを馳せるあたりにも、ハッとさせられました(同7月)。

福田さんとは実はむかし、同じ会社に勤めていたのですが、
それぞれの理由でそこを離れてから、はや十数年。

別々の道を歩み、その間、決してマメに連絡を取っていたわけでもないのですが、
いま考えていることが意外なほど響きあうのは、実に面白いことです。

それぞれがウサギと亀の決して前者ではない生き方をしてきて、
「遅さの哲学」みたいなものを共有しているせいかもしれません。
おとぎ話の亀のように「勝てる」思想なのかどうかは、わかりませんが。

と、個人的な感慨はさておき。

本サイトとあわせて上記「院長の独り言」もぜひ、
覗いてみてください。
(それより鍼灸院の宣伝をしてよ、という声も聞こえてきそうですが。。)

posted by 面 at 01:03| Comment(1) | 仕事場のパンセ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月10日

graphic = カオスから立ち上がるカタチ

先週に引き続き、原研哉氏の『デザインのデザイン』から。

原氏は自分の仕事、「グラフィックデザイン」とは何かを改めて問うて、
こう書いています。

     ★★★

―― 「graphic とは、直訳すると「絵のような」という意味であるが「絵」という概念を今日的に捉え直すとするならばそれは「図」と呼んだ方が的確かもしれない。 「図」とは「地」に対する概念。 すなわち無意味なカオスとしての背景から立ち上がる「意味のある形質」のことである」。(219頁)

     ★★★

原氏はさらに、このような意味での「図」は「情報」という概念に置き換えることもできる、と述べ、「ノイズの海」から立ち上がる「図」=「情報」の美こそは、グラフィックデザイナーにとって「究極のテーマ」だとしています。

駐車場の「P」のカタチに目を凝らす kikuch さんのエッセイから、
私が「図と地のゆらぎ」について考えされられたのは、
なるほど、自然なことであったのだな、と思いました。

posted by 堀(宗教学) at 00:35| Comment(2) | シナプス接続 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月03日

原研哉『デザインのデザイン』

ここ数年、改めて、デザイナーの発想、というかデザインという考え方から学ぶべきものの多さを実感しています。

それは、このサイトでもおつきあいのあるkikuchさんの影響もあるのですが、
デザインという仕事に関わっている人の発想が、どうしてこんなに面白いのか、その理由がうまく捉えられずにいました。

そんな中。

原研哉氏の『デザインのデザイン』(岩波書店、2003年)を読んで、
なるほど、そういうことだったのか、と思うところがたくさんありました。

そのたくさんをすべて書くと長くなりますので、
ここでは前書きから二箇所、いきなりずどーんと来たフレーズを引用させてもらいます。

     ★★★

―― 「何かをわかるということは、何かについて定義できたり記述できたりすることではない。
むしろ知っていたはずのものを未知のものとして、そのリアリティにおののいてみることが、
何かをもう少し深く認識することに繋がる」。

―― 「机の上で軽くほおずえをつくだけで世界は違って見える。
ものの見方や感じ方は無数にあるのだ。
その無数の見方や感じ方を日常のものやコミュニケーションに振り向けていくことがデザインである」。

     ★★★

デザインという仕事、またデザインという考え方をこのように捉えることができるのだとすれば、
それは日々、私が学んでいる宗教学や哲学という学問、
あるいは仕事として行っている大学での「授業」という行為そのものと、
関わらないはずはありません。

この本の面白さは、そうした思想としてのデザインを、
原氏のこれまでの具体的な仕事のありようを通して非常にわかりやすく説いている点です。

その筋の(?)方々にとってはあまりに有名な方の著作ですが、
私がそうであったように、
別にその種の仕事についているわけではないんだけど、
デザインってそもそも何だろう、と気になっている人、
あるいは、これまでデザインにこれと言った興味をもたなかった人にも、
お勧めできる内容です。

装丁や論述形式が、なんか岩波っぽくないところも良いです。

posted by 堀(宗教学) at 13:00| Comment(0) | お薦め | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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