2009年07月27日

聖地チベット展・2

翻訳業をやっております、こにりょ、です。私も「聖地チベット展」に行ってまいりましたので、感想を少し。

日本のともインドのとも違う神像や仏像が並んでいて、なんとも壮観です。頭がたくさん、手がたくさんの観音さまも迫力ありましたが、特に頭が動物の像はとても好きなのでいろいろなものをじっくりと堪能してきました。

昔の人はこういう異形の神々の姿をどのように想像して、どのように細部を定めていったのか、出来上がったものにどういう思いを抱いていたのか、そういうことを考えるだけで、歴史の重みと人の精神活動の奥深さに、頭がクラクラしてきます。

そういえばお台場に等身大ガンダム像が作られたそうですが、そういうのを見て圧倒されるのとつながるのかもしれない、とふと思ったりもします。あのあれが、二次元にしかなかった、観念の中にしかなかった、あれが、今、現実に目の前に、物質として、しかも、こんなにリアルに! という気持ちはよく分かる。神話に出てきた神様が、実際に目の前に現われれば、おお! と感動してしまう。アニメやゲームのキャラクター・フィギュアを愛でるのとも、おそらくつながりがあるのだと思います。

つかみどころのないもの、想像の中にしかないものを、形ある具象物にして、それを〈愛でる〉〈敬う〉〈崇拝する〉、そんな気持ち。そういうものが感じ取れた展覧会でした。具象物として、今ここにあるもの、は、やはり理念や思想とはかなり異質な、独特の迫力がありました。回せば経文を唱えたのと同じ功徳があるという聖具〈マニ車〉も、お試し用のものがあったので、思い切りぐるぐるぐるぐる回してきましたが、そうやって具体的なものに触れるというのは楽しいですね。

たぶん、これも楽して功徳を得る道具とかいうものじゃなくて、手を動かして、ある動きを作って、同じ功徳へと到る別の道なのだな、という気がしてきました。結構ずっしり重さを感じるマニ車を、あるパターンで動かす(くるくる回す)というのは、何かしら心の高ぶりを覚えます。心の変容とでもいうような……。ふと思えば、仮面ライダーが変身の際にある決まったポーズをとるのも、アニメの魔法少女が何かの道具を一定のパターンで動かして変身するのも、同じような意味を備えたプロセスなんじゃないだろうか、心が変容するのと同時に体も変容するかもしれない、そもそもそれらは密教の印につながるのではないか、などと、いつもの空想癖に浸ってしまいました。

展覧会はまだまだやっておりますので(〜8月23日)、ぜひどうぞ!
posted by こにりょ at 00:40| Comment(1) | シナプス接続 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月20日

聖地チベット展。

鍼灸師で、東洋医学全般にも詳しい福田さん()を誘い、
道立近代美術館にて開催中の「聖地チベット」展へ。

先に入場していた管理人Bこと、こにりょさんと合流するも、
こにりょさんはその後の予定が押していたため、先に退出。

展示の内容は、かなり充実したもので、
福田さんとあれこれ感想や疑問を差し向けあいながら一回りするのに、
二時間以上かかりました。

福田さんからは、
チベットの医学や身体イメージ(それは歴史表象や宇宙観にも関わっています)について、
インドや中国との比較の観点から、色々と教えてもらいました。

私の方は、仏画や舞踊の仮面に散見されるドクロや、
ぐわっと目を見開き舌をべろりと垂らした仏神の表情に、
思わず「なんか、ヘビメタに通じるものを感じるなあ」と一言。
(より広く、ハードロックとくくっておくべきかもしれませんが)

考えてみれば、チベット密教も、「セックス&バイオレンス」ってとこあるもんなあ、と、
何だか妙に納得してしまいました。(※)

・・・俗っぽい感想で、すんません。

※ これはまあ、少なくともまったくの的外れではなかろう、
  ということで、関連書物を紹介。
  
  → 正木晃『性と呪殺の密教:怪僧ドルジェタクの闇と光』
     (講談社選書メチエ、2002年)

  ドクロ好きといえば、この人(↓)も。

posted by 堀(宗教学) at 23:53| Comment(2) | シナプス接続 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月13日

図/地のゆらぎ。

IMAさんの学校標語めぐり
kikuchさんのPのデザイン、と続いて、
つくづく、見ているようで見ていないものの多さを実感。

気になりだすと、これが目に入る、目に入る。
よもや今日になって突如として増殖しだしたのでは?と思われるくらいに。

で、思い出したのは、
生物学者ユクスキュルが用いた有名な絵。
(日高敏隆『動物と人間の世界認識』ちくま学芸文庫、44-5頁より)

三つの?部屋.jpg

同じ一つの空間にいても、
ヒト、イヌ、ハエと、種が異なれば、
関心をもつ対象もまた異なる。

関心のあるもの、つまり自分にとって有意味なものは、
いわばスポットライトが当たったように冴え冴えとした輪郭を持つけれど、
その他は後景に退き、個別の対象としては見えない(極端に言えば「ない」)に等しい。

たとえば同じ一つの部屋でも、見え方はこんなに違うんですよ、
ということを、この絵は示している。

図と地のゆらぎ。

ある日、突然、
学校標語のひらがなことばや駐車場の「P」が、
後景から前景へとせり出し、存在を主張し始める。

関心は存在の母なのだ。 いま思いついたけど。

日常のありふれた世界が、ちょっとだけ、しかも二度と取り返しのつかない仕方で(・・・そうか?)、変貌を遂げる。

こうしてコトバはたえず、世界を裁ちなおす。

それが実感されるときの、この軽い眩暈のような感覚が、
好きなんだな。


     by 堀マサヒコ
posted by 面 at 22:21| Comment(2) | シナプス接続 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月06日

Pのデザイン

「日本で一番看板に使われているアルファベットは“P”である」

………………嘘です。僕の勝手な見解です。

でもそんな風に思わざるをえないほど“P”は実際多い。

あ、もちろんコレは駐車場の“P”ですね。
とにかくいたるところに“P”は存在している。
一般的に中心部といわれている町は“P”に始まり“P”で終わると書いても過言ではない。

あまりにピーピー視界に入ってくるので、“P”の写メコレクションをしてしまう僕(あ、先日35歳になりましたが何か?)……まぁそんなんで街を徘徊していると、ああ、ありました、お気に入りの“P”。

写メのものがそうなんですが、なんとパズル(!!)がモチーフの“P”を発見。

24hcp.jpg

“P”だからPUZZLEという、その脈絡のゼロさ加減と「もしかしてピースにもかかってるのか、おい!」と突っ込まずにおられない、まさにこの看板自体がこちらの脳をパズル化させる佇まいを持ってしまっている珍品ではないか。

うーん、たかが“P”、されど“P”。

にしてもだ。

たった一文字でコミュニケーションを成立させているアルファベット“P”の存在感はやはり凄い。
簡潔に万人に伝えるという事がデザインの基礎と位置づけるなら、ギュッとその定義をコンパクトに凝縮しきった“P”にはデザインの原点が見え隠れしている気もしないでもない。

そして今日もそんな“P”から放たれる“P”OWERにとっても嬉ピ〜くなるのだ。
って結局これが言いたかったんかいっ。

by kikuch

posted by 面 at 01:16| Comment(2) | 名づけえぬもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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