2009年03月30日

性格

性格って何だ。 よくそんなことを考えます。

性格の類型に興味があるというよりは、
むしろ、性格をもつって、そもそもどういうことなんだろう、という漠然とした疑問。

まず、性格のコアみたいなものとして、感情のパターンがあると思うんです。 ある種の状況に直面したとき、どう応答するのか。 たとえば、同じ状況であっても、びびってしまう小心者(私)がいる一方で、まったく動じないタフな輩もいる。

それから、世界の眺め方。出来事をどんなふうに意味づけているのか。 どんな出来事を中心にし、どんな出来事を周縁に置くのか。そういうのも性格のコアですよね。 たとえば、心配症の人にとっては、家の鍵をかけたという事実や、かけていないという事実が、他の事実に比べて途方もなくビッグな意味を帯びているんだけれど、逆に、そんなのまったくどうでもいいわ〜というアバウトな大人物もいるわけです。

それにしても、性格ってそれなりに変わるもんだと思うんですが、その経路はどうなっているのか。 そこんとこ、気になります。 環境や人間関係が変わることで、世界の眺め方が変わるというのはけっこうありそう。 「役職が人を作るんだ」みたいなことが世間でよく言われますが、役職につくことで、出来事の意味づけ方が変わるというのはやっぱりあると思うんです。 感情のパターンは変わるのに時間がかかりそうですが。

性格の変化といえば、悩ましい問題もあります。 たとえばAさんが「自分の性格が変わってしまったときには、・・・してくれ」と僕に要請したとします。 で、僕は「OK」と約束する。 そして、時が流れて、Aさんの性格はずいぶん変わってしまう。僕は約束したことを実行しようとするんだけれど、いまや異なる性格になったAさんはそんなことをしてほしくない。 僕はどうしたらいいんだろう。

法律上、何が合法か、ということが問題なのではなくて、むしろ問題は「僕は誰に向きあえばいいんだろう」というようなこと。現在のAさんの意思を尊重することで、僕がそれまで向きあっていたAさんの存在や、Aさんとの関係性が、否定されてしまう。 あるいは、そこまで言わなくても、宙に浮いてしまう。 その何ともいえぬ居心地の悪さ。 性格が変わっていなければ、ただ単に「要請の撤回」ということでいいんですが、性格のおおきな変化が伴うと、なんだかずいぶん悩ましい話になってきます。

「かつてのAさんは心のなかにいるだけで、もはや存在していない。 存在しているのはいまのAさんなんだから、その意思を尊重すべし」。これは、実践的な決着のつけ方としてはわかりやすいかも。 でも、そのわかりやすさは居心地の悪さを完全に消し去ってはくれない気がします。

それが何故なのか。 ひょっとすると、時間の積み重ねとか、記憶とか、そういったものが、他者との関係性のけっこう大事な部分を占めているからなのかもしれません。

          by pockley (倫理学)
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2009年03月23日

すずらんのデザイン

“理由の見当たらない無責任なデザインはデザインではない”……

なんていう言葉が妙に心にひっかかる昨今、いや、まったくその通りだなと思います。

必ずそこには何かしらの理由というのは必然な訳で、作り手側はそうでなければいけないよ、と常々思っております。

そこに「意思が沸々と沸いているもの」。 コレが好きです。

なので全ての手掛けたのものはどれだけ昔にやったものだろうが「これは私が作りましたよ」と自慢出来るものでなければいけない。 ホントは。
後悔してはいけないぞと。 ホントは。

まぁ…結構自分もあるんですよね(笑)…無責任なものと書くと大げさかもしれないけれどもちょっと人に言いにくいというか。 これはダメですね。 自戒。

で、ちょっと話が変わりますが「理由のあるなしはわからんが、その意図とは別の責任感がはみでてしまったデザイン」。 これは好きです。


suzuran_1.jpg

写真のすずらんのグラフィックは大通の某所に唐突にカッティングされているんですが(市の融雪機械か何かの裏…?)、このカタチはもちろん、その唐突具合といい、カッティングの“ほつれた”感じといい、好きです。 他の場所にもあるのでしょうか……

意識下にあるのか?無意識なのか?重鎮のデザイナーさんが作ったような強さもあるし、おじさんがペペッて作った儚さを同時に味わえる、これを貼った理由あるなしに関わらず妙な説得力が出てしまっているのは僕の気のせいだろうか。
「そろそろ携帯でも持たせてやるか」という親の心境になってしまうのは僕の気のせいだろうか。  僕の気のせいである。

ちなみにすずらんの花言葉を調べてみると、いくつかある中のひとつに「意識しない美しさ」とあった。 
オチまで素晴らしすぎるんですけど。


by きくち (グラフィックデザイン)
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2009年03月16日

オバちゃんコミュニケーション

とてもキレイで、お洒落な友人との付き合いも、15年を超えました。
自由奔放で、たまに無茶苦茶で、いいこともわるいことも知ってる彼女は美人の域を越えて美しい。

同世代の女性たちと、私たちが一緒に食事をしても、 ガッカリすることもしばしば。
帰り道二人で、

 「なんであーゆー風な話し方になるんだろう?
  体力落ちたの、シミシワが出来てきたとか何とか、
  あそこまで盛り上がると老化現象すら自慢しあってるような気がするね。
  早く年を取りたいわけ? 付いていけない」

28歳が若いのか、オバサンに片足つっ込んだ微妙な位置にあるのか、気にしだすことはなんだか情けない気がする。
実は周囲の“ものさし”によって、決められていくことが多いと、気づき始めてる今日この頃。
オバサン、オジサン、オバアサン、オジイサン。
それぞれ自分らしく生きるとは、ただの虚しい標語の旗となって、
毎日の頭上になびいているだけなのかもしれない。
そんな友人が先日電話で「健康の話になると、久美子も私もオバサン口調になっててウケる」
バツが悪そうに話したのです。

以前、彼女が体調を大きく崩したことがありました。
お医者じゃない私は具体的に何もしてやることが出来ないですが、心配は多いにしてやれるぞと、毎日毎日時間問わず電話とメールをしました。
回数を重ねるごとにそのオバサン度は増し…。


 病は気から。治ったら少々値が張るもの食べに行こ。バチ当たらないべさ。 
 なーんも、すっだらこと。病人が気にすることじゃないんだわ。黙って今日は寝てれ。
 不安があるなら先生に遠慮なく聞かねば。
 病院代と交通費以上に元とってやらねばもったいないっしょや。


・・・とまぁ、このような具合になるのです。
過剰な方言丸出しの、北海道の田舎ババです。
で、仕事や男の話になると、途端に自然と口調が変わる。
いわゆる「年頃の女性」に戻るのでしょうね。


何でだろう、と考えると、それは「私のおかあさんの話し方」でした。
知らず知らずのうちに、肝っ玉母さんになったつもりで接していたのかもしれません。
声だけで、背中を叩いたりさすったりするにはどうしたらいいのか。
それは偉大なるオバちゃんパワーだったのです。
なんでかな。オバちゃんは明るいからかな。


オバちゃんは、すごいです。毎日を地で生きている感じがして、図々しいけど、頼もしい。
自分も彼女もオバちゃんになり、何だかんだで食えないクソババになっていくのです。
女で居続けることも、オバちゃんになっていくことも
子どものようなみずみずしい感性も、冷静でスマートな大人であることも
私の頭で考え、話を語っていけば、結果はそうそう悪くないかもと、
めぐりめぐってこのような結論に落ち着きます。


元気のないときや、不安でたまらないとき。
嬉しいときの声はグラデーションのように変化を見せます。
力強い応援のときだけは
だみ声のオバちゃんになってもいいんじゃないかな、なんて思ったりしています。

          佐藤久美子(画家)
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2009年03月09日

もらった青汁の使い方

親族から青汁をもらったのですが、体にいいのはわかるんだけどなかなか消費できないでおります。

同じ境遇の方がもしどこかにいたら……(笑)
『若草かん』←勝手につけた名前
づくりをオススメします♪

【材料】
・青汁、大さじ2〜3(てきとうに)
・練乳、130〜160g(いちごにつけるコンデンスの小さいタイプ一個まるごと)
・粉寒天4g
・牛乳200cc
・水150cc

【作り方】
@分量の水、粉寒天をなべにいれて中火にかける。
ときどきまぜながら寒天をとかす(2〜3分)。
Aさらに1〜2分、軽くにたつくらいの火加減でにる。
B火からおろしてコンデンスミルクを加えてさます。十分あまいので砂糖は加えなくてもいいと思う。コンデンスミルクには酸が含まれないので熱いうちにまぜても大丈夫です。
C荒熱がとれたら、牛乳に青汁を混ぜたものを加えてまた混ぜる。
D型にいれて冷やして固める。


春にぴったり、若草色のすてきな寒天ができます。


私は、作る度に分量は適当です。
コンデンスミルクが大きめだと甘くなり、青汁の粉が多いほど緑色はこくなります(笑)。
Cのところで、バニラエッセンスとかコアントローなど、香りのするものを加えたりもいいと思います……がなくてもできます(^^ゞ。

デザートとして、または最近プリンどらやきとかもあるくらいなので、サンドイッチにするのもありだと思います。

繊維が豊富でゼラチンより扱いやすい(気がする)寒天を利用して、青汁生活を楽しんでみませんか♪
青汁もてあましてる方に……オススメレシピでした。

古畑亜紀 (トランペット奏者)
posted by 面 at 01:23| Comment(8) | お薦め | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月02日

じいさんしゃべり

わしは翻訳をやっておる。
こにりょという名前じゃ。
だが、それはあだなじゃ。

これは、いわゆる「じいさんしゃべり」。と呼ばれているかどうか分からないけれども、小説や漫画を読んでいると、老人のセリフとしてこのような口調をときどき見かけると思う。

けれども、これまでぼくはこのような口調でしゃべる老人に実際に出会ったことがない。ぼくの祖父も、父も、こんな口調でしゃべりなどしなかった。わし、とか、〜じゃ、とか、〜のう、とか使う知り合いはいるけれども、それは方言であって、別に老人だから、というわけではなかった。いったいいつ、どのような経緯で、このような口調が老人のセリフのステレオタイプとして確立されたのだろうか。なぞだ。

翻訳する際には、この「じいさんしゃべり」は自分では使うまいとずっと思っていた。基本的に小説を訳しているときに、一人称をどうするか、どんな口調で会話させるか、いろいろと考えることがあるが、ともかくもステレオタイプには陥らないようにと模索していた。

けれども、すこし考えが変わった。とある児童向けのファンタジー本を読んでいたときにそう思ったのだが、なぜかこの芝居がかった「じいさんしゃべり」がしっくりときた。時と場合によるのだなとあらためて気づかされたわけだが、ステレオタイプも捨てたものじゃない。また、日本語の本だけではなく、同じようなファンタジー小説を外国語で読んでいると、登場人物の老人のセリフが、ぼくの頭の中で、知らないうちに「じいさんしゃべり」の日本語に変換されていることに気づき、自分でも驚いた。たとえそうした口調が人工的な構築物であったとしても、いつの間にか自分の中にしっかりと根付いていたのだ。こうしたステレオタイプの登場人物が「いかにも」な活躍をする小説には、ぴったりだと思った。ステレオタイプは、長い時を経ることによって構築されただけのことはある。

もちろん、登場人物のパーソナリティや内面、微細な心理を表現する場合にはこうした口調は向かない。けれども、その登場人物が「老人である」ということ、特に老人に期待されている役割を担った人物であるということ表現すればいい場合(ファンタジー小説では、多くの場合、若者を導く賢者として)、そうした場合には、この「じいさんしゃべり」は非常に有効である。一読するだけで、この人物がどのような立ち位置にあって、主人公たる若者とどう関わっているのか、把握できるからだ。

でも、どういう流れでこのしゃべり方が老人のステレオタイプとされるようになったのか、知っている方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。
posted by こにりょ at 00:58| Comment(2) | 仕事場のパンセ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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